私のアクティブライフ 2010年
 その39 台湾旅行----
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3日目です。ホテルを7時30分に出て100km移動します。
 懇丁(ケンティン)ガランビ岬で休憩。
 ここは日本から一番遠い岬です。遠くには台湾のマッタ-ホルンが見えます。
 涼しそうに見えますが暑いです。
 猛暑の中のガイドさんの説明です。良く覚えていませんが後ろの灯台は過去の戦争で3回壊された事があるそうです。
 今日の宿泊地花蓮へ向かいます。
 富士山より高い山を車窓から眺めながらバスは320km先の宿泊地へ向かいます。
 この国のバスの運転手は荒っぽいです。特に今日の運転手は凄いです。20代後半の若い運ちゃんです。最近の大雨で道路が崩れバスの幅いっぱいの様な所でも遠慮なく疾走します。海まで真逆さまな所でも。
 後日友人に恐さを話したところ人権意識が薄い国の人はそんなものだと言う返事が返って来ました。なるほど。
 台湾の土についてガイドさんから説明がありました。台湾の土はほとんどが赤茶色をしているそうです。
日本の様に色々な種類は無いそうです。台湾の土でレンガを焼くととても綺麗に焼けるそうです。
 バスのスピ-ドが落ちました。ガイドさんと運転手がなにやら話しています。間も無くガイドさんからの説明がありました。
 後続のバスのエアコンが壊れたそうです。気温は37~38℃でしょうか。窓も開かなく蒸し風呂状態でしょうね。昼食の為のレストランにバスが止まりました。蒸し風呂バスの乗客の方達には担当のガイドさんから冷たい物のサービスがあった様です。昼食の間にバスは応急修理が済んだ様です。
 美味しい郷土料理を頂きました。この地方では有名なレストランと言う事ですが名前は忘れました。
 台湾の気候は北部が亜熱帯気候、南部が熱帯気候だそうです。米なども三期作が出来るそうです。刈り取りが済んだ田んぼもあります。間も無く次の苗を植えるんでしょうね。
 ススキも穂が開いています。
 三仙台です。突き出た岬に8連くらいの橋がありますがどの様な意味があるものか判りませんでしたが考えられる事はこの地区のオエライさんの思いつき、意味不明な橋でも作ればバスや車が止まるだろう。少しは金が稼げんだろ~では。
 今夜の宿泊地花蓮へ向かいます。この道中に北回帰線と言う太陽の通り道があります。この線の下に立つと太陽が真上を通リ自分の影が見えなくなるそうです。
 南回帰線と言うものもあるようです。中学校の本でも開けば出て来るんでしょうか。
 この北回帰線が通る所に新高山(ニイタカヤマ)と言う山があります。どこかで聞いた言葉です。
1940年代日本軍は台湾を占領していました。台湾で一番高い山の名前を真珠湾奇襲攻撃の暗号に使った様です。
 戦争映画は好きですがこの言葉の出どころは判りませんでした。『ニイタカヤマノボレ一二〇八』1941年の日本時間12月8日午前0時に総攻撃を仕掛けろと言う事でした。こんな暗号もありました。『トラ・トラ・トラ』意味はワレ奇襲ニ成功セリ。
 日本中はこれで戦争に勝った様な気分でいたのでしょうが事実勝ったのはこの奇襲攻撃のみ。連合軍の物量作戦には押される一方の日本。4年8ヶ月後、連合国軍最高司令官マッカーサーは東京で(昭和天皇の)玉音放送を聞いていました。
 トイレ休憩です。台湾ではガソリンスタンドが国営だった頃のなごりでガソリンスタンドのトイレは観光バスなどでも
自由に利用してよいそうです。
 今日はバスで500kmくらい走ったでしょうか。このホテルに泊まります。
花蓮亜土都大飯店☆☆☆☆です近くが海の綺麗なホテルです。
 早めにホテルに着いたので花蓮の街を散策します。大きな交差点ではどこの信号見たら良いのか迷います。とにかく早く渡る。  パンやさんが有りました。まだ夕食前です。い~香りに誘われてしまいました。
 瑞穂牛乳などと言うものもありました。  ホテルには原住民が作った置物が多く有りました。
 朝日が見られると言う事でしたが雲の都合で1時間遅れでした。
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