私のアクティブライフ 2010年
 その41 うまいものを食べる----4(日光東照宮)
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 9月26日

 今日は日光東照宮を見学します。小学校の修学旅行以来です。昔と同じ砂利の参道を進みます。
時間的には早めなので混んではいませんが間もなく小学生の大群が来るそうです。

 大きな石の鳥居をくぐります。この鳥居は日本でも三本の指に入るという代物です。昔、筑前(福岡県)藩主によって奉納されたものだそうです。テレビ水戸黄門よりの情報です。

 石の鳥居の左側には高さ35mの五重塔があります。この塔は過去に火災にあい修復されたそうです。これもテレビ水戸黄門ですが若狭の国(福井県)の藩主が奉納したそうです。

 五重塔を過ぎて少し上がると表門(仁王門)です。門の両脇に大きな仁王様がいます。

 普通、仁王様といえばお寺にあるものです。どうして神社にあるのか不思議ですがさらりと見てしまえばそれまでですね。

 表門を過ぎると神厩舎(馬小屋)があります。神事に使う神馬が入っています。

 この馬小屋のなげしに彫られているのが有名な三猿です。三猿は馬の守り神ともいわれているそうです。

 神馬です。
ニュ-ジ-ランドからの献上馬だそうです。

 私達より3週遅れで友人の和田さん夫婦も日光を訪れました。私達と同じようなコースをたどったようですがこの日には東照宮でやぶさめ神事を見る事ができたそうです。偶然とはいえ運が良いです。

 やぶさめ神事は春と秋に行われるようです。又、神馬といわれる馬も多い時は15頭くらいそろうそうです。

 2の鳥居を過ぎるといよいよ陽明門です。

 小学校の修学旅行で来ました。陽明門をバックに記念撮影です。
 陽明門です。
凄い数の龍がいます。

 東照宮でもっとも有名な眠り猫です。
東回廊にあります。左甚五郎という凄い方が彫ったそうですが素朴な彫り物です。少し器用な方なら彫れそうです。彫ってみますかね。
 鳴竜です。これも有名です。この下で手をたたくとそれらしい音(竜の鳴き声)が聞こえました。46年ぶりですがなにやら以前とは様子が違います。神官が竜の下で拍子木(ひょうしぎ)をたたきます。
昔聞いたことのある音(竜の鳴き声)はします。以前はみんな一列に並んで順に手をたたいたような気がしました。帰宅後東照宮社務所及び関係者に問い合わせてみました。
 質問: 昔は竜の下で手をたたいたという記憶があるのですが。同行の友人達も手をたたいた思い出があるというのですが私達の思い違いなのでしょうか?


 回答:以前(約20年前)は確かにそうでしたが小学生などが並んで入場してきて、大勢に連続して手をたたかれると竜も鳴き続けなければいけないので疲れてしまうから今のようになったそうです。という冗談のような話と、鳴き竜の原理は天井・床・壁の反響を利用しているそうです。長い間お大勢に手をたたかれ続けられると本殿内部の細工がゆがんでくるそうです。そのことも考えてのことのようです。

鳴竜について・・・屋根にとまるハトを追う為に僧侶がその場所で手をたたいたらぐうぜん反響した。このときから東照宮の大看板「鳴竜」となったそうです。この建物も一度火災にあい再建されたそうです。

 本殿を出ました。
その先の祈祷殿ではこれぞ神前結婚式というのを見る事ができました。世界遺産の社殿での挙式素晴らしいですね。

 東照宮ですが、いたる所でお色直しをしていました。ずいぶん掛かるのでしょうね。お金が。

 商売繁盛を願って奉納するのでしょうか?二斗樽が数え切れないほど並んでいます。

 それほど多くは歩いてないのですが階段が多い為か疲れました。、葵横丁で一休み。屋台形式の出店が数件あります。そばを初め軽い食事が出来ます。サル饅頭もありました。

 私おいしいものには目がありません。もぅ~うれしくなっちゃうわぁ~
日光の天然氷のようです。

 輪王寺三仏堂です。
大掛かりな足場が架かっていました。どのような工事をするのでしょうか?
ここでは毎年薪能が上演されます。8月頃のテレビニュースで流れます。

 宝物殿です。
徳川家康についての資料・装飾品などが展示されてます。

 徳川家康の遺品大刀・小刀です。

 宝物殿にきて素朴な疑問が解決しました。水戸家(水戸黄門)の家紋がどうして三つ葉葵なのかわかりました。徳川家康の十一男が常陸の国(茨城県)にたいそうな財産をもらい分家したのが始まりだそうです。正式名称は水戸徳川家というそうです。黄門様が何代目かは??です。
徳川家康には側室が40人いたという話を聞いたことがありますが子供は総勢何人いたんでしょうか?

 逍遥園です。
池を中心としたこじんまりした品のある庭です。

 「綺麗になる」とか「ただ」という言葉には弱いようです。

 日光といったら「ゆば」です。
日光に来た友人から美味しいゆばのお店を聞いておいたようです。ゆば遊膳さんです。

 湯葉の刺身です。
わさび醤油でいただきます。

 湯葉のしゃぶしゃぶです。
ポン酢醤油でいただきます。

 湯葉の茶碗蒸しです。

 古代米のご飯と湯葉の煮物セットです。

 美味しいものにはとりこにされます。

 湯葉のプリンです。
どの料理も品の良い美味しいものでした。今回はうまいものをいただく為の2日間でした目的は達成できたと思います。

 お土産選びも大変なようです。

 高速が安い日なので早めに帰路につきました。今回はマイカーでしたが遠くなく手ごろな所でした。翌朝のニュースではひどいものではなかったらしいのですが各地で渋滞はおきたようです。
 日光東照宮ですが小学校の修学旅行で行ったのが最初で最後と思っていましたがその後数回行っていました。あまり寺社仏閣などに興味がない年頃に、ついでに寄った、付き合いで行ったそんな時は記憶に残らないんでしょうか?

 17歳くらいとは思うのですがまるで覚えていません。一緒に写る方ですがお互い写真を撮りあっただけの方だと思います。

 19歳の時も家族で来てました。

 この写真も家族と来た時のものですが今回はここは見ませんでした。どうして見られなかったのか気になりましたので東照宮の総務課に写真を送り尋ねました。
 質問:40年くらい前の写真なのですがどこで撮ったものでしょうか?又、何かの記念の時だけに入れる所だったのでしょうか?(中略)
 回答:(原文のまま)
お世話になります。お送り頂いた写真ですが、場所は東照宮御祭神・家康公の御墓所(お墓)になります。
眠猫の彫刻のある場所から階段が207段続いており、その一番上が御墓所です。今日でも、どなた様でもお参り頂けます。
宜しくお願いします。
 今回は眠猫付近で工事をしていた為御墓所への案内板が見えなかったものと思います。同行の友人はこのような所を見たかったものと思います。

 この写真の事も覚えていません。21歳の頃です。三仏堂の前での記念撮影です。
 日光杉並木
 日光杉並木は一本だけだと十数年前まで思っていました。あるときミストさんに行くのにいつもとまるで違うルートで行きました。カーナビは今ほど性能が良くない時でした。その頃は杉並木は一本だと考えて入力しナビの指示で走りました。ナビは杉並木の大きな杉の木の影響でGPSをうまく捕らえることができず暗くなった道でナビも私もパニックになり同じ道を行ったり来たりしました。その時杉並木は一本ではないことを知りました。

 今回の杉並木は三本あることがわかりました。
江戸から東照宮へ向かう参道が日光御成街道(日光街道)・京都方面からの参道を日光例幣使街道・会津方面からの参道を会津西街道という三街道からなるそうです。地元の方以外は知らない方が多いでしょうね。
 世界一長い杉並木を守る。写真(県林業センター)

 杉並木にの根の部分に丁張り(ちょうはり)が見えます。同行の友人が何だろうと見てました。
これについても県に尋ねてみました。

 大きくなって行きどころがなくなった根の部分(道路)を深く堀り起こしてその中にコンクリートブロックを埋めて根の伸びる空間をつくり杉の延命をはかるそうです。

 工事が終わるとこのようになるそうです。杉並木もバイパスができて一般車両は通れませんが生活道として使われている所もまだ多いようです。
 とどめ・渋い想い出

 17歳頃です。バイク仲間とこの方面にツーリングに来ました。早朝出て日光杉並木付近まで来ると道も混みはじめ眠気もさし二輪車にはつらいノロノロ運転になりました。私は先頭を走っていました。前を走る車をいっきに数台抜きました。その中の一台が覆面パトカーで御用になった渋い想いでもあります。そこは追い越し禁止区間でした。

 子供の頃、若い頃行ったところをもう一度尋ねるのも良いものですね。
竜頭の滝、華厳の滝です。
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