私のアクティブライフ 2010年
 その40 中山道・妻籠宿・馬籠宿へ行く
 2010年9月11日 中山道・妻籠宿・馬籠宿へ行く

 9月も半ば近くと言うのに暑い日が続きます。今日は中山道の宿場町へ涼みに行きます。この日は高速道路が安い日ですが時期も時期だから渋滞なども大した事は無いだろうと考えていましたがとんでもない事でした。バスは高速の入り口から渋滞へ。テレビではよく目にする光景ですが凄いものです。

 料金所を過ぎた所には仮設トイレが10基ほど並んでいました。目の前の光景を見て取り合えず用をたしておこうとする方の車が入って来ます。

 民主党の大看板「事業仕分け」でこの道路の建設もストップさせるような大騒ぎをしていましたが建設は確実に進んでいます。
 何の法的拘束力も無い(提言)事業仕分け、前回は約90兆円の予算からわずか2千億円どうなっているんでしょうか?

 最近では各地で大規模太陽光発電施設が多く見られます。私が小学校6年生(1964年)の時の担任の話です。石油(ガソリン等)はあと30年で無くなるという話を聞かされました。当時の一般知識だったんでしょうね。

 収穫の時期です。黄金色に輝いています。

 最近では刈り取りにコンバインを使用しますので天日干しはほとんどしません。田んぼの中に丸太(竹)でやぐらを作り刈り取った稲を結び天日で乾燥させます。昔はみなこのよう作りました。にいなめ祭で使われるお米も天日干しをすると聞いた事があります。天日干しの方が味は三割増しだそうです。

 その後バスは順調に進み2回目の休憩をしました。もうすぐお昼です。バスの席に戻ると車中で頂くわっぱ飯が配られていました。

 わっぱ飯です。
一見素朴ですがよく考えられた弁当です。今回の行き先はそれなりの年配の方が顔をそろえています。ピッタリです。

 朝の出発時。バスに乗る時に後ろから来るどなたかが「エェ~霊園見学会みたい」と言う声が聞こえました。わかるような気がします。

 バスは高速を下りました。いきなりお土産やさんです。これから色々見学するのに手荷物は厄介ですね。

 私はこれにしました。
せっかく寄って頂いたのに手ぶらでは失礼かナァ~と考えましたが?良く冷えていました。

 お土産店を出て間もなく妻籠宿に着きました。
 ここには16歳の時に来ました。
昔はどこでも似たり寄ったりの暮らしをしていた為かたいした思いではありません。その時は東海大学自動車部のラリ-で来ました。
この近くにチェックポイントがあったものとお思います。たぶんですがその時のラリ-に三菱ラリ-チ-ムで有名な篠塚健次郎さんも出場していたものと思います。当時彼は同大学自動車部でしたから。

 大きな看板(高札場)があり、やってはいけない決まり事が難しい文字で書かれています。

 昔はここがメイン通りでした。静かに通り抜けたと思います。
 妻籠宿の民芸品店です。
木曽駒を初め十二支の木彫品などには好きな言葉、文字をその場で書き入れてもらえます。

 妻籠本陣前です。

 本陣です。
警察、役所が一緒に入っていたような所です。

 500mくらいの石畳の道沿いには昔の建物が手を加えられる事無く保存されています。
 人が生活しながら保存する。大変な事でしょうね。電線も電柱も見えません地中配線でしょうか?
 驚きました。
洗濯物がどこにも干してない。山間部で日照時間も短くどうしているんですかね。裏に回れば最新の洗濯機が回っているんでしょうか?

 郵便資料館です。
ここは昭和53年に郵政省の指導で作られて60年に開設したそうです。
郵便の歴史が一目でわかります。

 延命地蔵です。新しく生まれた子供達を守りその子の寿命を延ばすという地蔵様だそうです。
 普段手を合わせるのは仏様(仏壇)くらいですがここでは合わす手に力が入りました。

 美味しそうな地酒が並んでいます。以前でしたら店の縁台に腰かけ一杯でしょうね。

 近くの田んぼには丈の低い米が実っています。雨、風の影響を考えた品種かなと思っていましたが酒米だそうです。

 妻籠そばです。
腰がありしっかりした美味しいそばでした。
馬籠宿です

 馬籠宿の高札場です。
やはり色々な決まり事が書いてあるようです。
町の掲示板のようなものですね。

 高札場の少し上に恵那山を眺めるのに最高の場所がありました。この時恵那山で何か気に掛かる事があったのですが思い出せませんでした。

 やっぱり歳ですね~。帰宅後地図を見て思い出しました。5年くらい前に岐阜県の山奥に鯉友を訪ねて恵那山の下を通りました。雨はやや強くなるが車は順調に進みました。
 鯉友の所まであと一山という所まで来て山越えの道路には通行止めの遮断機が下りていました。7月下旬からの大雨の為です。がっかりです。
 電話も不通になり、携帯電話も通じないこの地区、鯉友と話をしたのはその2日後でした。私にとってこの方面は鬼門です。

 馬籠宿は明治と大正時代の大火で全世帯が焼失したそうです。今の町並みになったのは昭和のはじめだそうです。
宿場の入り口には粋な防火用水が置いてありました。

 文豪・島崎藤村はこの宿場の出だそうです。文学に縁の無い私にわかるのは名前くらいです。
島崎藤村記念館です。
 文豪・中里介山(大菩薩峠)の家にはよく遊びに行きました。私は子供の頃ハトを飼育していました。その頃中里介山の家では素晴らしい伝書ハトを多く飼育していました。私達が飼育していたハトは遠くで放すと家まで帰らない、帰っても時間が掛かる。中里介山のハトは1000キロくらい一飛びという優れ物ばかりでした。足を運ぶうちに大きな鳩舎のそうじなども手伝うようになり中里邸で長時間ごろごろした事もありました。私を相手にしてくれた方は私の父親くらいの方で独身だったと思います。この方から良いハトを数羽頂きましたが優秀なハトだけあって我が鳩舎になれることは無く我が家で放すと中里鳩舎へ直帰、時間を掛けましたが我が家のハトになる事はありませんでした。
赤い門ですが私が出入りしていた頃は黒く塗られ怖い感じもしていました。30年くらい前に羽村市に寄贈されたそうです。
当時この家にいて私を相手にしてくれた方はどの様な方(縁者?)だったか今になって気になります。
大事な門を寄贈するという事は門の奥の土地、建物も無くなったんでしょうね。ちなみに大菩薩峠ですが登った事はありますが本は触った程度です
 馬籠宿の町並みはゆるやかな上り下りゆるやかなカーブから出来ています。随分以前の水戸黄門さんの説明では敵(山賊、盗賊)から攻め難くくする為に考えられたそうです。
 この馬籠宿内は特産の木曽石が多く使われ歩きやすくなっています。

 昭和の初めに建てられた建物に手が加えられているようで今風な感じがします。

 孫が喜びそうなお店。
 香ばしいおせんべいを焼くお店。
 地の特産物が並ぶお店。
 珍しいものを色々見る事ができました。

 今回も楽しい旅行ができました。お世話になったバス会社です。私の思い違いでなければ桧原村にずいぶん前からこの看板をしょったバスが走っていました。気になったので運転手さんに聞いてみました。車は多摩ナンバーです。
 今日の旅行は距離があった為か2マンでしたので年配の運転手さんに聞いてみました。やはりそうでした。昔は村の冠婚葬祭の仕事がメインで飲食店経営者の親が副業でやっていると聞いた事もあったような。
今は大型、中型、小型あわせて20台近くあり大手観光会社の仕事も取っているようです。
2人の運転手さんですが礼儀正しい立派な方でした。
今回の旅行はぶらり散歩と食べ歩きというテ-マです。この地区の8大名物を頂きました。
朴葉寿司

あっさり酢飯で小腹がすいたらどうぞ だそうです。
五平もち

蒸した米を練って軽く焼きエゴマなどのたれで頂きます。
飛騨牛アイスクリーム

とても美味しかったです。
われせん

香ばしい焼きたての美味しいおせんべいでした。
みたらし団子

焼きたての団子です。甘党の方には少ししょっぱいかな?
とちもち

ずいぶん以前に地方で頂いた事がありますがドングリの味が強かった事を覚えています。ずいぶん食べやすいです。
ごまケ-キ

ごまクリームの美味しいケーキです。
カラスミもち
 
日本の三大珍味のカラスミをいっぱい食べれば子供に恵まれるという言い伝えがあったそうです。しかしカラスミは高価なもので簡単には手に入らない。先人が考えぬいた結果がカラスミもちだそうです。
 妻籠宿・馬篭宿・歌川広重の有名な絵です。
馬籠宿は長野県だと思っていましたが岐阜県でした。思い違いをしていました。