私のアクティブライフ 2009年
 その24 中国旅行
 2009年6月6日
 午後17時20分発という事なので余裕で準備が出来ました。この旅行を計画している中で世界的に猛威を振るい始めている病気が日本にも入って来てしまいました。 キャンセルして中止するのが常識なのかとも悩みましたが成田に来てしまいました。成田ではニュースで騒がれていた程マスクを付けてる人が少ないようでした。
 成田を離れて1時間くらい経つと妻が体調が悪いと言い出しました。エアコンが効き過ぎて冷えたのだろうと思いました。しかし、腹痛、吐き気が除々に強くなってきたため客室乗務員さんに話したところ空いている席で横にならさせて頂きました。そして熱を測ったところ熱はないから大丈夫と言われました。北京に近くなるにつれて楽になってきているようでした。しかし、私の頭の中では今騒がれている病気だったらどうしようか?マイッタな~でした。
 この数日前に友人のドクターに風邪、腹痛などの予備薬を頼んだところ中国では、黒となれば1週間の隔離だと聞いていました。又、旅行関係者、搭乗客などもどの様に扱われるのかが心配でした。
 飛行機は北京に着きました。飛行機の中に検疫官が乗り込んできました。一人一人熱があるか検査が始まりました。私の席の前で検疫官が止まりました。なにやら中国語でやり取りが始まりました。テレビで見たものと同じ完全防護服を着た人が集まり始め日本語、英語、中国語でのやり取りが強い言葉に変わってきました。たぶん黒と判断されたものと思いました。その黒らしい方の連れの方に客室乗務員さんが「心配しなくても大丈夫よ、貴女は旅行を続けてください。」と話しているのが聞こえました。
 約一時間遅れて飛行機から降りました。一時はどうなるか心配でしたが妻は疲れていただけのようでした。(前日宴会で忙しかった為)
検疫官はテレビで見るのと同じでした。こんな格好の方が集まると異様ですね。

 空港です。同機に搭乗したほとんどの方がマスクを付けた様です。

 北京飯店着午後11時このホテルに3泊します。
 2日目です。
今日から観光が始まります。

 天気の良い朝でした。

 北京郊外ショッピングです。翡翠で出来たトラです。1対で800万円くらいでした。
 中国のお金で買うと120,000,000元 北京市の方の月収が2,250,000元くらいだそうです。 

 北京オリンピック会場「鳥の巣」です。
 北京オリンピック情報処理センターです。不規則に窓が付いてるナ~と見ていたら中国人のガイドさんが一言「中国人がやることですからね~」と。外壁がはがれ落ちて中の骨組みが見えていました。約30階建てくらいで4棟あります。見えない所はどの様になってますかね?
 世界遺産”頤和園”です。日本でも有名な西太后が暮らした所です。 中国最大の公園で290万㎡という想像も出来ない広さです。1860年英仏連合軍にほとんどを破壊されたが、後に西太后が再建したそうです。
 西太后は伊藤博文とも会談した事があるようです。中国の歴史と言えばむか~しの事に聞こえますが、伊藤博文といえばそんなに昔を感じないですね。
 なが~い廊下を進むと可愛い女の子が中国の楽器を吹いて人溜まりをつくっていました。中国らしいカラフルな色遣いです。

 これも大道芸というんでしょうね。中国語で意味のある文字でしょうね。水で書いていますので乾いたら書くを繰り返している様でした。
 世界遺産 明の十三稜・定稜です。北京郊外に明の時代の十三人の皇帝のお墓があります。総称して明の十三稜というそうです。13稜の内唯一発掘されたお墓の定稜を見学しました。地下27mにあり当時の技術の粋を集めて造ったようです。当時のGDP(国内総生産)の2年分をつぎ込んだそうです。
 地下27mの平面図です。
 
埋葬品の一部です。

 お墓の出口付近です。ゴミの山ではありません。祈願成就か?お札の山です。

 地上に出て来て最初に見た凄いものです。飲食物を売っています。スイカ、メロン等が皮をむいてテ-ブルの上に無造作に置かれています。この店の売り子さん達の手にはハエ取りが握られていて飛んでくるハエを容赦なく叩きつぶします。とても食べる気分にはなりませんでした。
 
世界遺産 万里の長城入り口です。

 入り口付近では大型トラックの特設舞台で中国らしい芸能活動がにぎやかに行なわれていました。

 万里の長城は中国の北部にあり、東の山海関から西の壽峪関までの6,350kmあるそうですが、ガイドさんの話では4,000kmという事です。この壁は紀元前に造り始めて完成するまで2,000年も掛かったそうです。最初に工事を始めた大将はエライ事を始めてしまい引っ込みがつかなくなり大後悔したでしょうね。

 遠くに見える稜線にもこの要塞を確認する事ができます。
 しかし、来る事が出来良かったですね。素晴らしいの一言です。地球上の建造物で宇宙から見えるのは万里の長城だけだそうです。最大斜度45度あるそうです。手すりにつかまり登るのがヤットでした。
 中国での始めてのディナーです。
北京といえば北京ダック 北京ダックといえば。。。

 老舗「全聚徳」です。
世界の要人は必ず来ているという店です。
 本場の北京ダックコース料理を堪能させて頂き、本場の食べ方も勉強してきました。
焼きたての香りが漂う至福の瞬間です。目の前で切りわけてくれます。
自腹で食す事はできない美味しい料理が次から次と。
 食後のひと時 北京雑技団 です。
北京市内にあります。アクロバットはじめ、繊細な女の子のショーなどが山盛りあります。中国の伝統的な衣装を着た子供達がとにかく凄いショーを観せてくれます。
一時間くらいだったと思いますが見た後の感想はと聞かれれば一言で言えば疲れました。が正直な感想です。観ていて力が入ります。この子供達ですが以前は中国各地の貧しい村から集められて来たそうです。幼いうちに親から離され難易度の高い技を仕込まれるそうです。
※近県の子供ですと辛さに耐え切れず逃げ帰ってしまう子もいたんでしょうね。
 
 テレビなどでは見たことがありますがこれは見る価値があります。

 ショ-の中で一番感激しました。トランプのマジックですが素晴らしかったです。私の席に舞い込んで来ました。しかもハートが8個もついたカードでした。 記念に頂いて来ました。
女の子の回りに白く舞って見えるものは数百枚のカードです。どこにそんなに沢山カードを持ってるのと聞きたくなるようでした。
 この子供達ですが見た限りでは小学校の低学年から高校生くらいに見えたのですがショーに出られるのは12才から23才 迄くらいだそうです。
※あまりにもショーが素晴らしかった為、良いタイミングでシャッターが押せませんでした。(うまく撮れてない) 
 3日目です。
 天安門広場です。世界でもっとも広い広場で40万㎡あり一度に50万人が立てるそうです。1989年民主化を求め天安門広場に集まった学生達を政府が武力で封じ込んだ事件です。 世界中にテレビニュースで流れましたが、当の国民ほとんどは知らされてはいませんでした。
 記憶に残る大きな事件では米国の貿易センタービルにテロリストが旅客機を乗っ取って体当たりした事件もう一つは天安門広場で軍の戦車の前で立ちはだかり戦車の進行を防いだ画面を思い出します。
※天安門事件。 中国で学生の民主化運動が武力鎮圧された出来事(1989年)から20年と2日目に北京に入りました。この事件を共産党政権は 反乱革命暴乱 と見なしました。
 事件から20年目の節目の年ですから何か不測の事態が 起こらなければ 良いな、少し起きても良いかナ~
※私のマグロの仕入れ先の責任者はフィリピンマルコス独裁政権を(1986)倒したピープル革命時にフィリピン工場(マグロ)に責任者として勤務していたんですがこれが戦争かという恐い体験をしたそうです。
 世界遺産 故宮博物館です。
毛沢東主席の肖像が掛かる天安門をくぐり故宮博物館へ 大きな建物、太和殿(たいわでん)、中和殿(ちゅわでん)、保和殿(ほわでん)、乾清宮(けんせいきゅう)交泰殿(こうたいでん)、坤寧宮(こんねいきゅう)の大きな建物から成立っています。
  年に数回という大雨の日にあたってしまいガイドさんの説明も聞こえず厳しい見学でした。 故宮博物館は楽しみしていたのですが、以前テレビで見た故宮博物館は台湾にあるものだったようです。北京故宮博物館についての感想です。一言で言えば昔の大きな空き倉庫群を見て歩いたですね。
 世界遺産 天壇公園です。

 四季を象徴する4本の柱と、一年を象徴する12本の太い柱から出来ていて釘は一本も使って無いそうです。
 この公園の象徴的な建物です。天壇祈年殿です。
この建物は天を祭る為に造ったそうです。雨の少ないこの地域では夏至には雨乞いをして農作物の豊作を祈ったそうです。 傘を開いたような瑠璃色瓦の屋根は見事なものです。祈年殿は直径32m高さ38mです。

 朝早くから色々見て歩きました。やはりこれが一番の楽しみでした。
老舗「小肥羊」でしゃぶしゃぶです。美味しい高級肉が次から次これでもか~状態です。

 食後のひと時北京市内に繰り出しました。

 少し路地裏に入って見ました。

 小さい露天がぎっしり並び凄い活気です。日本では見られないものが屋台で売られていました。 肉、魚の串焼きのようなものその他、虫、さそりこんな物まで食ちゃうの?
同行の友人はなにやら得体の知れないものを口にしていましたが何でも無いようでした。大変丈夫に育ったのですね。 ガイドさんにはやたらに食べないで下さいネと念を押されていたのですが。
 帰る日です。 
 
 朝8時30分の飛行機だという事で早くホテルを出ました。

 4日間お世話になったバス会社です。

 ホテルから空港に向かいます。早朝の為か広い道路が貸切状態です。
昔、韓国に行った時道路が大変に広く驚きました。当時の韓国は今以上に北朝鮮と緊張した時代だった為、非常時には高速道路が滑走路になり戦闘機が離着陸を出来るように造られているんだと言う話を思い出しました。
 
 朝食です。朝早い為折詰め弁当です。バスの中でいただきました。

 いたる所で見かける車です。中国公安警察です。公安などという文字を見るとゾ~とします。日本の公安警察は極左(思想)等の取り締まりが主ですが中国の公安は日本の一般警察官と同じだそうです。これについては考え違いをしてました。

 バスが走り出して30分くらいで空港に着きました。来た時も感じましたが大変に広いです。10年くらい前に日本のODA(政府開発援助)で約3倍の広さになったという記事を見たことがありました。その後オリンピックが出来る国にODAは必要ないだろうと日本政府は言い出しましたが現在はどうなっているのでしょうか?

 ANAこの飛行機で帰ります。

 離陸しました。北京の郊外の町並みがまだ見えます。

 まさしく雲上の人になりました。

 機内のテレビモニターで飛行機が現在飛んでいる位置がわかります。北朝鮮領に近ずくといやな気分になりますね。

 機内食です。
時間帯によっては要らないような気がしますね。

 無事成田に着きました。
あ~良かったです。

 都庁舎です。
帰宅途中ですよ。
同行の友人は又、大きな仕事(大儲け)の準備でこの中へ消えて行来ました。

 中国人ガイドさんの口癖 ・・・中国ですから・・・
 いきなりトドメの一発から。。。
 国の命令で予定の観光コースが変更される事がありますヨ~と前日説明を受けていましたが観光初日いきなり中2日、中3日目の観光コースが入れ替わりました。ガイドさんの話では外国のエライ要人さんでも来たのでしょう。そんな説明しかできないほど情報が入らないらしいです。日本だったら大騒ぎですね。ガイドさんに言わせれば
・・・中国ですから・・・
 この店で買い物を楽しみました。何としてでも売りつけようと店員さんたちは凄い気合でした。私達もしつこくマークされました。あまりにもしつこいので半値なら買ってもいいよと話したところ即OKでした。
 帰国後他所の書き込みページを見たところ私達と同じ店で買い物をした方の恨み節を見ました。 その方は5万円の花瓶を進められたのでお金が1万円しか無いと話したところそれで良いと言われてやった~と思って買ったそうです。
帰宅してわくわくしながら開けたところ花瓶の一部が割れていたそうです。その方いわく包装する時点で傷物に変えられた様だと書き込んでいました。
 この方の書き込みを見て私達のバスにも同じ様な方がいたナ~と思いました。その方は3万とか5万円とかの茶器を1万円で買って来たと喜んでいましたが後に泣いていたかも知れませんね。
・・・中国ですから・・・

 このお店でもやられました。。。
中国茶の入れ方、試飲をしました。試飲が終わると素焼きの小便小僧を出してきました
これにお茶を入れてプゥ~と吹きました。小便小僧から勢い良くお茶が飛び出しました。年配のお客さん達も大喜びでした。この店でお土産を買うとこの小便小僧が付くというので買い物しました。
  帰国して孫を喜ばそうとしたところ、この小便小僧には小便の出る穴が開いていませんでした。なんだヨ~でした。
・・・中国ですから・・・

 世界遺産、 頤和園です。。。
 
中国では大都市の一部以外ではトイレにドアがなくても当たり前だそうです。丸見えで大もするそうです。
このような所は世界中から観光客が来る為トイレも一流だそうで4星マークが付くそうです。そこで私は凄いものを見てしまいました。小用を足す為に4星に入って行きました。
 
中には大用の個室が幾つかありました。入り口を入ると1個目のドアが開いていてうす汚いでかい顔の男が入り口の方を向いて座っていました。
私は小用を足して出てくる時に何気なく又見てしまいました。まるで大きなガマカエルが外を向いてにらんで
入るようでした。そしてその時大の用を足していたのです。
 
私より少し後に小用を足して来た方が言うには大をしながらパンを食っていたよ。と興奮していました。
でかい顔に見えたのはパンをくわえていたからですね。例えるならこんな感じです。海ホタルにあった置物とガマカエルです。こんなに可愛くはなかったですが。
・・・中国ですから・・・

 世界遺産、定陵の駐車場です。。。
この付近は果物の生産地帯らしく果物の露天がいたる所に出てました。ガイドさんの説明ではこの地域の果物は強い農薬剤をかけられているから病気にも耐え生産量が多いそうです。ガイドさんの注意事項です。売り子さんはしつこいから無視してください。食べないで下さい。
中国人は食べても大丈夫なんですか?
・・・中国ですから・・・
 交通事情。。。
 北京には車が多いです。ガイドさんからの説明です。北京では車が優先だそうです。渡る時は車を避けて注意して渡る。それで引かれたら引かれた方が悪い。日本では赤信号みんなで渡れば恐くないと言うそうですが北京ではみんなひかれますヨ~とのことです。
 観光初日バスに乗ってすぐ感じました。あっちでピィピィこっちでピィピィ割り込まれてピィピィ割り込んでピィピィまぁめちゃくちゃです。運転のマナーなんてものは何処吹く風です。少し郊外へ出ると又凄いです。走行車線を対向車がいい勢いで走って来ます。バスの最前列に座った方達はため息の連続のようでした。ガイドさんいわく前を見ないで下さいです。
 バスの運転手にしても似たり寄ったりです。道路脇の木の枝などがバスにビシバシ当っても俺は行くぞゾ~です。 日本のバスの運転手さんなどは自分に貸与されたバスは大事にしますが社会主義国では俺の物じゃ無いよ~しるか~ですね。又、ニュースなどで見る中国の都市部の移動手段は自転車、オートバイ多かったようですがオリンピックを境に交通渋滞、排気ガス規制によりオートバイが姿を消したようです。それによりバッテリで走るオートバイのようなものが急激に増えたそうですが、そのオートバイのようなものが歩道を凄い勢い走ります。人身事故も多いようです。
 大量輸送手段はやはりトラックようです。どうしても気になってしまうのが大型トレーラーです。あきらかに積載オーバーと見られる古い大型トレーラーがオートバイ数百台分と思われる黒煙を噴出し疾走してます。排ガスで取り締まるならこれだろうと言いたいですね。
・・・中国ですから・・・
 コピー商品。。。
 万里の長城への上り口の売店でこれぞ偽物ダ~というものを見つけました。要塞を見てから何か飲み物をと思い売店に入りました。対応した店員さんはここは国営だから商品は安全ですヨ~。と付いて回ります。私は軽く時計(コピー)ある~と聞いたら目の前に陳列してありました。
 その時に旅慣れている同行の友人はすかさず国営に偽物なんかある訳ないだろうと店員さんに。。ア~なるほどさすがだな~見直しました。
しかし店員さんも凄いその言葉には耳も貸さず時計を売ろうとします。私も好奇心があったので半値ならと言ったところ商談は成立しました。
※帰国してこのような商品の密輸日本総代理店のような友人に鑑定をお願いしたところ¥5,000で入って来るとの事です。
 オートバイの偽物も見たいナ~と思っていたのですが排ガス規制により見かけることはありませんでした。この国のオートバイの年間販売は1,100万台ですがその中で日本の設計をコピーしたオートバイが700万台だそうです。
ヤマハ=Yameha スズキ=SuzaKi ホンダ=Honea 日本のメーカーに似たようなブランドン名が付いているそうです。
性能も日本の設計ですから良いそうで値段も半値だそうです。

・・・中国ですから・・・
 私が見たテレビです。中国は恐いですね~
 2010年5月上海博覧会が開かれます。北京オリンピックもそうでしたがこの会場造りも工事が遅れに遅れているようです。
 6月27日会場に使う為の建築途中のビルが基礎を残していきなり自然倒壊したそうです。同じ図面の建物がすでに3棟完成して入居待ちのようです。建築責任者4人がその日のうちに拘束されたようです。この建物と基礎をつなぐコンクリートパイル(電柱のようなコンクリートの柱)が6本しか使われてなかったそうです。これだけ大きい建物に30cm径の柱が6本いくら中国でもひどすぎますね。すでに完成している3棟も同じようにひどい手抜きで出来ているとしたら大変な事ですね。
 数年前、日本でもいい加減な業者の手抜き(耐震不足)工事が問題になりました。姉葉とか木村建設とか・・・私が見た中国ですから・・・
 盧溝橋事件
 支那事変北京市内から30分くらいの場所なので自由時間に行く事は可能だと考えていましたが、北京に着いた頃はすっかり忘れて しまい行く事は出来ませんでした。残念。
 日本軍は中国を侵略する為北京近郊に7,000人以上の兵隊を送り込んでいました。この橋を挟んで日本軍と中国革命軍が対峙して演習をしていました。
 1,937年7月この橋の北側で夜間演習していた 日本軍に突如革命軍兵士から数十発弾を撃ち込まれた??と言うのをきっかけに日本軍は中国全土に侵略戦争を開始しやがて第二次世界大戦へ進んで行った所です。

 美味しい食事
 当然ですが食事は総て本場の中国料理です。うまかったですね~。コッテリしているようですがそうでもない。
右は中国の地ビールです。日本でも同じですが普段飲んでいるメーカーのが一番飲みなれていて美味しいですね。
 地ビール、これで1本500円ですが観光客価格でしょうね。栓を抜いて数時間たってから飲んだ味ですね。

 この方達のお陰です。
※今回旅行で妻が一時体調を崩した原因ですが、当店が開店以来世話になっている金融機関が前夜利用してくれました。この景気、久々の大忙しに妻の体がビックリしたものだと思います。
この金融機関の宴会のお陰で御足の心配なく旅行を楽し めました。感謝いたします。

 三十数年前の旅券と今の旅券です。 長さが現在のものより25mm長いです。
内容もほとんど同じです。三十数年前に旅券を申請に行った時のことです私の前にカラフルでもろ飲み屋のお姉さんふうの方がいました。カラフルに化粧をしていた為女性の係官から 本当の顔がわからないから顔を洗って出直して来いに近いような表現で手厳しく注意を受けていました。
男の係官だったらこの様なことはないんでしょうね。

※旅慣れた友人のお陰で今まで知らない世界が多く見られそうです。谢谢你(感謝します)。