私のアクティブライフ 2008年
 その15 九州旅行
 2月24日

 瀬沼さん夫婦と南九州方面に出かけました。
9時20分発の飛行機で11時15分には鹿児島空港に着きました。さぞかし暖かいだろうな〜と考えていたのですが空港の温度計には4℃と表示されていました。風も強く、わぁ〜寒い〜でした。
 迎えに来ていたバスが走り出し1分でさすが鹿児島、西郷さんの大きな像です。10mくらいありそうです。
 西郷さんの像を車窓から見て2〜3分で最初の見学場所です。バレルバレープラハ&GENという所にバスは停まりました。
チェコ共和国のプラハの街をイメージして作られて、家具、調度品なども総てチェコ製にこだわってヨーロッパの雰囲気をだしているそうです。
 ここは地元で3代続く焼酎屋さんだそうです。初代が現代焼酎の父といわれた立派な方だったそうです。その3代目がお爺さんの功績をたたえる為にこの施設を作ったそうです。
工場では薩摩焼酎造りの工程や熟成のようすが見られ、試飲もできました。売店ではヨーロッパらしい木製の玩具、ソーセージ、漬物等お土産が売られていましたが九州に着いてまもなくの為かお土産ものを手にしている方は少ないようでした。
 今回の旅行ですが凄い方がいました。焼酎の試飲コーナーで皆さん順に並んでいるのですが、後ろの方から並んでいる人をかき分けてあっという間に最前列へ、やや太目の方ですがその体をバリケード代わりに数種類すべてを味わうように試飲する方がいました。女性の方でした。
瀬沼さんと目を見合わせてしまいました。
 薩摩の焼酎屋さんがお爺さんをたたえる為に何で チェコのプラハなんでしょうかネ〜。3代目の行き付けの飲み屋さんにこの国の綺麗な方でもいたんでしょうかね?
 今日の2ヶ所め見学は池田湖です。
九州では最大の湖だそうです。深さも230mもあるそうです。
 ここには世界的に有名な大うなぎが生息している所です。体長が2mもあります。太いです。

 この湖ではネス湖のネッシーと兄弟分のイッシーもいるそうです。ぜひ見たかったのですが、この日は出て来てくれませんでした。
午後になると風も治まり東京より早い春を感じました。菜の花が満開です。


 最初の夜は薩摩半島最南端の指宿いわさきホテルです。
全室から錦江湾が眺められる大きいホテルです。
 部屋から見た錦江湾です。眺めは素晴らしいです。

 ホテルに着くと早速名物の砂蒸し温泉です。体内の老廃物が汗と一緒に吹き出すようです。大浴場からは錦江湾が一望でき本当に癒やされますね。
館内には美術、スポーツ、ゲームセンター等いろいろなアミューズメントも充実。妻たちはあっちへうろうろ、こっちへうろうろと、忙しかったようです。

 左の写真は錦江湾の夕暮れです。ぼ〜と見てました。もの寂しいですね。朝日があがるのを見るときとはずいぶん気持ちが違いますね
右は夜の錦江湾です。窓をあけても聞こえるのは遠くの波の音だけ、一人物思いにふけながら部屋の冷蔵庫を数回開けてしまいました。
 2月25日
 2日目は薩摩半島最南端の地長崎鼻です。ここには昭和46年に来た事があります。海面一体に軽石が浮いていました。おかしな場所だナ〜くらいでその時はすみました。
 今回行く事になり、今でも軽石の浮いている海はあるんだろうかもう一度見てみたいと考えました。しかし、その光景はありませんでした。私の思い違いだったんだろうかとも考えました。 旅行から帰り、どうしてもその事が頭から離れないためネットでいろいろ調べました。指宿の数件の会社が答えてくれました。
 桜島が大きな噴火すると噴石の一部が軽石となり海に浮いているそうで。昭和42年の大噴火の時のものが浮いていたらしいです。ちなみに指宿市役所のいくつかの部門に問い合わせをしましたが、なんの回答もありませんでした。
 写真上は長崎鼻の灯台です。写真中央は昭和46年に仲間と来ました。もちろん瀬沼さんも一緒です。瀬沼さんは右から2人目です。写真右は海に向って順に用を足しました。この時代だからできたと思います。
 長崎鼻をあとに枕崎海産ショッピングセンターへ立ち寄りました。カツオ漁の本場だけあってカツオ関係の加工品が山盛りでしたが、この時季でしたので港は静かでした。

 火の神公園にも立ち寄りました。
平和祈願展望台からは海をへだてて開聞岳、南には硫黄島、竹島、晴れていれば種子島や屋久島もみえるそうです。
 この展望台から200kmの地点で戦艦大和を旗艦とする第二艦隊が沖縄決戦に向う途中撃沈された海域があるそうです。
この公園には太平洋戦争で散って逝った多くの英霊の鎮魂の碑や灯篭などがあります。
写真上の左は火の神公園から東シナ海を望む殉難鎮魂之碑
写真左は第二艦隊(戦艦大和)の撃沈海域図。
 薩摩の小京都・知覧です。
ここでは知覧特攻平和会館を見学。
 ここへ来る数ヶ月前に知覧特別攻撃隊の本を読みました。一度は行って見たいと思っていました。今回の旅行の中にこの地が入っているのを瀬沼さんが探してくれたため来ることができました。感謝です。
 会館に向かう路の両側には1036柱の英霊のために1036の石燈ろうが建立されています。

 会館内には家族、友人、恋人に宛てた手紙、日記、遺書、遺品などが多く展示紹介されています。このような若いいい子がどうしてこんなふうに犠牲にならなければいけなかったのか、帰ることのできない片道の燃料で出撃した若者たちは、わが国日本の平和と繁栄を願って散って逝ったにちがいありません。
 右の写真は、6人の天女が炎をあげている特攻機から特攻隊員の魂を昇天させようとしている絵です。

 特攻銅像「とこしえに」です。
 知覧南方にそびえる開聞岳をみつめ、左手は軍刀を持つ格好で戦争を意味し、握手しようとしている右手は平和を象徴しているそうです。
 出撃した特攻機は開聞岳を目印に西南に向って飛んでいったそうです。中には開聞岳の回りを何度も何度も旋回し、この山に挙手の礼を捧げ南の空へ消えて行ったそうです。
 右の像は鳥浜トメさんといい、南の空に散っていく勇士たちを家財道具をなげうってまで面倒をみたそうです。
特攻隊員のほとんどが17歳から22歳くらいでトメさんのことをお母さんと呼んでいたそうです。



 私が読んだ本です。この本を読むと一度は行きたいナ〜と思いますよ。 鹿児島県の海底から引き上げられたゼロ戦です。

 日本の戦闘機のエンジンは星型☆エンジンが普通です。ゼロ戦の場合は14気筒エンジンで600馬力くらいだそうです。
このエンジンを作っていた会社は現在の富士重工(スバル)です。


戦闘機 飛燕

戦闘機 メッサーシュミット
 戦闘機「飛燕」は日本の戦闘機とは格好が違うと子供のころから感じていました。今回その訳がわかりました。
 この飛行機は直列12気筒エンジンということでした。そのためコクピットからプロペラまでが長く日本の戦闘機の中ではスマートな格好でした。
 ちなみにこのエンジンはドイツ製ですが川崎重工がライセンス生産をしたそうです。そのためかドイツの戦闘機メッサーシュミットに似ていたようです。
 2日目の午後は知覧武家屋敷の見学です。
 知覧の武家屋敷散策です。
隣りどうしは石垣でくぎられ、表からは中が見えないように生垣が高くなっています。江戸時代防衛のために造ったものがそのまま保存されています。又、切石できちんと組んだ石垣があるところは本家すじだそうです。
 武家屋敷の中にはこのような家が建っています。二ツ家というそうです。

 武家屋敷の庭園です。ほとんどが枯山水です。水がある池は一軒だけでした。
 石垣も本家、分家では違います。道路の左右を比べて下さい。分家の石垣は川から拾ってきたようなものです。昔、敵が攻めてきたら分家の石垣の石をとって投げて敵と戦ったそうです。
 
ここは表通りですが、一歩裏通りにはいると道はくねくねしています。これは敵が攻めてきたら身を隠して不意打ちをするためだそうです。我々が子供のころ隣町の子供との戦争ごっこもこんなようでしたね。
ちなみに今は石垣が崩れないようにコンクリートで固めてあるそうです。
 午後は桜島に来ました。
昭和46年に来ました。その日は小雨が降り夕方だったせいか、この島が真っ黒に見えて不気味だったおぼえがあります。
この頃は桜島の大きな噴火が続き植物などがあまり無かったためにそのように感じたものだと思います。
大きくはありませんが松をはじめいろいろな植物が根付いているようです。 遠くに見える山にも緑が見えます。


霧島ロイヤルホテル

霧島から日向方面へ昭和46年、現在の国道223号線です。
 2泊目です。ホテルからの眺望もよく霧島連山と、錦江湾に浮かぶ桜島、鹿児島を代表する風景が一望でき
大浴場、岩風呂、料理すべてよいものでした。
 2月26日
 3日目です。日南海岸です。青島神社参拝鬼の洗濯板で有名な青島です。
 鬼の洗濯板です。この近くの海岸には数箇所このような所があります。
この特徴的な岩場は砂岩と泥岩(硬い岩と柔らかい岩)が幾層にも重なりあってできたもので大昔は海底にあったものが地殻変動で隆起して長い間に柔らかい泥岩が波に侵食されてできたそうです。

高い所から見るとこんな感じだそうです。


 青島神社です。巨人軍が宮崎キャンプに来ると必ず必勝祈願に来るそうです。
 巨人軍の成績はイマイチですが宮崎キャンプのホテルはランクアップされたそうです。


昼食時間に少し足をのばして見ました。県立青島亜熱帯植物園です。
 この様な方にお迎えいただきました。
ふだん見ることのできない植物が多くありました。
 車窓から見た日南海岸です。
桜が咲いていました。ガイドさんの説明では日本で一番はやく咲く桜だそうです。ということでしたが、帰宅した翌朝のテレビニュースでは静岡県の河津桜はもうすぐ満開ですとのことでした。
 九州の小京都 飫肥城です。歴史のある街です。
飫肥城の大手門です。
飫肥城下町の案内図です。

 城下町の数軒の方がこのようなかざり付けをして来る人をもてなしてくれます。  近所の方が集まって作っていたもを一つ分けてもらいました。つるし雛といいます。この歴史のある街でもつるし雛が作られるようになったのは最近だそうです。

 飫肥藩主が明治時代まで住んでいた豫樟館(よしょうかん)

◆ 武家屋敷通り(横馬場通り)
 このようなところには普通綺麗な鯉はいないのですがここには綺麗な鯉が泳いでいました。
 私的にはお城と名がつくと水戸黄門や暴れん坊将軍が頭に浮かびます。勉強不足でした。
 鵜戸神宮参拝、宮崎県で一番有名な神社です。
 本殿です。本殿は凄い神聖なところにあり御神体はここに奉られています。

 運玉亀石です。男性は左手、女性は右手で願いを込めて運玉を投げ、亀石の枡形の中に入れば願い事がかなうと言われてます。同行の友人は何を願ったか随分投げていたようです。 運玉です。
 たぶん運は尽きたものと思っていましたが、後日、良い目が出たようです。幻の・・・です。
 今回の旅行は自宅近くの駅から空港まで送迎車が出るという事で随分楽でした。
出発の朝は風が強く予定通り飛行機が飛べるんだろうかと心配しましが大丈夫でした。
しかし、空の上ではだいぶ揺れました。送迎車で同じ駅から一緒になった方ですが、たぶん近くの町の方ではと思っていたのですが、別れ際に話を聞いたところ私の家から歩いて5分くらいの方でした。驚きました。
 焼酎の試飲で気になった太目の方ですが、試飲、試食というところでは常に焼酎屋さんと同じ様でした。意識して見ている訳ではないですが、ついつい目がいってしまいました。
 今回の旅行でも小京都とつくところが2ヶ所ありました。全国では800ヶ所くらいの小京都があるそうですが一般に認められているのは80ヶ所くらいだそうです。
 
 神風特攻隊ですが、こんな書き物もありました。別の本ですが。 
司令官が特攻作戦の責任を回避するには、部下の将兵が自ら発意して、犠牲的精神を発揮してもらうのがよい。第一線の将兵が、国土・国体を護持し、家族を守るために、自発的に体当たり自爆を志願してくれるのが望ましい。
 この場合、上官が特攻を命令する必要はない。部下の熱意に「頼む」と承諾を与えるだけである。「特攻に部下を送り出した」(非情な)司令官にならない。
どのように考えたら良いか、複雑な気持ちになりますね。

 恩賜(おんし)の煙草です。恩賜の煙草は戦時中、天皇陛下から兵士に下賜された煙草のことです。
白い箱には『賜』の文字が浮いたように書かれている。 2ヶ所の封印シールには 『宮』 宮内庁の記号が入っています。 箱を開けるとアルミ箔で包まれてさらに品のいい紙で包まれています。
煙草には金色の線が二重に入って10本入っています。 金色に輝く16葉の菊の紋が入っています。
 私は、毎年この煙草が数個手に入りました。
年配の出征された方に差し上げるとたいへんに喜んでくれます。知り合いの鯉屋さんのお爺さん(100歳くらい)で厳しい戦争の経験がある方に10年くらい前に1箱差し上げました。お爺さんはもの凄く感激し喜んでいただきました。今でも良く覚えています。そのお爺さん、同じ県の戦友に連絡をとりあつまってもらい煙草に火を点け苦しかった当時を語ったそうです。歳から考えると大きな2つの戦争に出征されたとも考えられます。
また年配の方でも出征経験にない方に間違って差し上げたときはガッカリです。これナァ〜にです。
 差し上げた方は皆さん神棚に飾るように置いてあります。私はこの煙草を30年以上前から味わっていますが、何とも神々しいものです。
この煙草の製造は2006年で終わったそうです。

 軍歌「空の勇士」です。
 
  恩賜の煙草をいただいて
  あすは死ぬぞと決めた夜は
  荒野の風もなまぐさく
  じっと睨んだ敵空に
  星がまたたく2つ3つ
 
神風特攻隊の方もこの煙草に敬礼してから火を点けたそうです。


 日本海軍横須賀兵(士官)学校
 私の父です。昭和16年秋にはこの地にいました。
下の写真は入隊時の記念撮影です。前にすわっている6名が上官でしょうね。凛々しいですね。
  ここでは海軍の基礎教育が行なわれ、これが終了すると術科学校で水雷、砲術、航海、通信、陸戦等の各専門に分かれて更に勉強したらしいです。
 父は二列目の右から2番目です。
 自動車の操縦訓練
 当時は敵国の歌、言葉等は禁止されていましたが車はアメリカ、イギリス製を使用していたそうです。フォード、ビック、ライリーなどです。ビックについてビューィックと私の父は発音していました。たぶん軍隊ではそのように呼んでいたものだと思います。
 自動車操縦訓練では一人に一台づつ車があてがわれて、整備なども総て覚えさせられたそうです。横須賀方面の道路はカーブが多く道も悪い為操縦訓練中の車が海に飛び込んだり、崖から落ちたりすることが多かったようです。 しかし、仮にそうなった場合でも上官に思い切り1〜2発ぶん殴られれば、数日後には違う車をもらえたそうです。 どのような理由かわかりませんが、とにかく速く走るという訓練が多かったようです。
戦闘車両の他、蒸気機関車の免許も取得させられたそうです。

 霊峰富士登山 昭和16年8月
 海軍に入隊が決まり友人と富士山に登ったそうです。山頂から眺めは素晴らしかったそうです。2度と登る事は無い、見る事もないそう思ったそうです。
 この頃、すでに食料不足が始まっていて宿の料金は総て背負って行った米で払ったそうです。

 現在の横須賀港
 海上自衛隊横須賀基地があり海上自衛隊司令部も置かれているそうです。昭和47年からはアメリカ第七艦隊の本拠地になり、有名な空母ミッドウエーの母港です、平成20年秋には空母ジョージ ワシントンが配備され空母ミッドウエーの任務は終わるようです。

空母ミッドウエー


 美食家の友人はこの旅行で簡単にはいただく事のできない幻の焼酎、森伊蔵、魔王、を堪能するつもりで来たのですが、これらの焼酎は店頭販売されていない為か簡単に口にする事は出来ませんでした。
 なんとかいただけたのが、魔王でした。宿泊先の大きなホテルでも出し惜しみかナ〜と感じましたが、出していただきました。しかし、九州を発つ空港のレストランでも思いがけなく魔王をいただく事ができ友人もニコ〜でした。
 友人は旅行から帰ってからが大変でした。寝ても覚めても「幻の焼酎を飲むぞ〜」だったとか。幻の焼酎は店頭販売されていない為、大きなデパートの抽選会場へ足を運ぶ日々が続き、ついに両銘柄を手にしたようです。『運玉』のご利益。私も幻の焼酎を始めていただきましたが、品のある結構なものでした。
森伊蔵 魔王 旅行会社からのお土産品
来年のお正月に封を切るそうです。楽しみです。 フルーティーな味、熟成酒ならではの穏やかな飲み口です。 私はこのようなものでも十分です。