私のアクティブライフ 2007年
 その11 中越地震
 2007年10月
中越地震から3年目旧山古志村に行きました。3年前のあの日、私は妻と友鯉の友永詔三さんと3人で村の鯉屋さんめぐりを楽しみました。
友永さんも気に入った鯉をずいぶん手に入れました。私もつられて数ヶ月先の小遣いまでつぎ込んでしまいました。
鯉談議に花を咲かせた帰路でただならないニュースが飛び込んできました。翌朝テレビのニュースを見ると山古志方面が大変な事になっていました。
 私達が鯉屋さんめぐりをした所も崖が崩れ道路もいたる所で寸断され、親しくしていた鯉屋さんの家も駄目になっているようでした。
私達ものんびりしていたら、鯉を連れて帰って来る事はできなかったと思います。

 長い〜トンネル(関越トンネル)をぬけると一足早い秋を感じます。
 遠くの山もいくぶん色ずきはじめてます。

 トンネルをぬけてしばらく走ると大地震の傷あとがいたる所で目に入るようになりました。

 高速道路をおりて山道を走ることわずかで震災前の山古志ではない様な素晴らしい橋、トンネル、道路が出来ていました。
復興の証しを感じます。

 偶然ですが、山古志復興祭が開催されていました。地元の産物、錦鯉などが販売されていました。以前、山古志の村長、現衆議院議員の長島さんもみえていました。
 以前親しくしていた鯉屋さんの家もコンクリートの基礎だけになっていました。
 この時季普通なら村の道端では鯉屋さん達が店を出しているのですが、ほとんど出ていませんでした。

 JAおぢやで収穫祭(品評会)をやっているというので行って見ました。
すでに審査は終わってましたが小さいのから大きいのまですごい数で素晴らしいのばかり、さすが本場だナ〜です。
一等賞に輝いたのは大正三色でした。大きさは85aでした。

 小出町漁協の品評会です。鯉の生産者も少ない所です。プールの数も少なめでした。結局、好みの鯉はいませんでしたので手ぶらで帰ってきました。
 帰り道の高速道路上、パーキングエリアには関東各地の消防本部の消防車をはじめ特殊車両(すごい数100台以上)が関東方面に向っていました。急いでラジオのスイッチを入れましたがそれらしい情報は入ってきませんでした。
 その後調べませんでしたが中越地震から3年、大規模な災害訓練が行なわれたものだと思います。

 この領収書を切った数時間後に山古志漁協の建物は使えなくなってしまったらしいです。
領収書の鯉、大正三色、約25cmです。

 友永詔三さんの作品です。

左:ぷりんぷりん物語(1979年)

中央:東海大菅生高校(2006年)あきる野市


右:東京国立近代美術館「近代工芸の名作」から(画像をクリックすると大きい画像が見られます)
 一部山古志村関係様の写真を使用させていただきました。